Tamikoのよろずやプロフィール

はじめての方、はじめまして。そしてもう私のこと知っている方、お元気ですか?

雅音人のTamikoです。

このアートウイング設立にあたり、

これまでラブ・アース・ネットワークの活動の中では出し切ることができなかった

私という人物のエキス?を十分に出し切ってまいりたいと思います。

何しろ難しい理屈が苦手な私は、私のこと知っていただくなら

「ライブやコンサートに来てみて〜」といいたいくらいです。

歌が一番伝えやすいな。

私にはミュージシャン、シンガーソングライター、という意識はほとんどなく、

絵を描くように、手紙を書くように、

心に浮かんだ感情や風景を曲として作っているのです。

そんな私が自分というものをご紹介することによって、

このアートウイングの設立に至った理由や

これからのアートウイングの役割をわかっていただけたら幸いです。

それではここに「私というもの」を記してみましょう。

 


 

【替え歌名人】

 

小さい頃は確かに歌は好きだったけどまわりのみんなと特別変わるところはなかった。

ひとつ挙げれば、ちょっと聞きかじったメロディーに勝手に続きを作り、

歌詞まで付けて歌っていた。

元の曲のタイトルなんて知らなかったが、後からメディアから流れてきた曲を聴いて

あれ、この曲、私が作った曲の元の曲だ〜、と発見していた。

後に学生時代のかくし芸、そして成人して結婚式に呼ばれて余興を頼まれると、

手っ取り早く替え歌を作り会場を大いに沸かせていた。

この頃からメロディーに歌詞を付けることを無意識に訓練していたに違いない。

 


 

【テニス漬けの青春】

 

小学校5年から始めた軟式テニス、

身長もあったことでちょっと目立ち、大会にも好成績を修めた結果、

県の強化選手になってしまい、テニスに青春を捧げることとなった。

おかげでその他の若者の楽しみはほとんど知らずに成人してしまった!

もちろん音楽も。

 


 

【シンガーソングライター】

 

中学時代、ギターを弾いて仲間と発表会に出ていた兄に刺激され、

ちょっとだけギターを練習した。

お陰でコードだけは分かるようなった。

高校ではインターハイ、国体と出場していたため、

テニス部の仲間以外の友達を作る余裕はなかった。

短大時代もテニスは続けたが、さすがに流行の音楽にも関心を持ち始め、

特に聴いていたものは、オフコース、ユーミン、ドリカム、だった。

高校生の頃、詩は少し書いていたが、それが音楽と結びつくことはなかった。

そんな短大2年のある日、知人の聴いていたCDに心を奪われた。

それは来生たかおのアルバムだった。

流れるようなメロディーとさりげない日常を心地よく表現した歌詞、

聞けばお姉さんが歌詞を書いているという。

こんなふうに自由に曲を作れたら…。

その思いが自分もやってみようという意欲を生み出した。

これが作詞、作曲を始めたきっかけ。

 


 

【密かな楽しみ】

 

一時は本格的に音楽を志した時期もあったが、

運命に翻弄?

されその夢は胸の奥に封印された。

そしてもっぱら趣味の範囲で、曲を作り続けていた。

 


 

【ブランクからの復活】

 

1998年、環境問題が叫ばれる中、

この地球の今後を憂い、自分にも何かできないか?

と考えて始めたのは環境問題に関する

情報紙を作成し配布することだった。

「ラブ・アース・ネットワーク」というグループ名で

組織を立ち上げ、有志に協力していただきながら、

記事にしたい活動を取材しながら多くの出会いを体験。

しかし手作りの新聞は賞賛を集めたにもかかわらず、

人々の行動を変えるまでには至らないことを痛感した。

その頃、自作の曲のカラオケを作って欲しくて

声をかけた知人から紹介され、辻氏と出会う。

それなら歌で思いを伝えたらどうかとの提案から、

環境問題を考えるライブを開催したり、

さまざまなイベント出演を重ねていった。

曲も次々と生み出し、そのいくつかが活動を支えてくれた。

まさに奇跡の連続だった。

 


 

【アーティストとして】

 

音楽には力がある、芸術によって人の心を変え、

社会を変えていくことができる。

ラブ・アース・ネットワークの活動からそう確信を持てた。

しかしラブ・アース・ネットワークの活動をしていた私たちは、

環境とか平和の曲しか歌わないグループというイメージが強くなっていった。

そのことが私の心の中で違和感となっていった。

目的がある曲はもちろん必要だけど、

それだけじゃ堅苦しい。

音楽は楽しむことが一番大事。

それに生活の中のすべてが曲のソースなんだから。

生まれてくる曲はさまざまなのだ。

やはりアーティストとして実力をつけ、

芸術として認められる音楽を目指したい。

そこで、アーティストとしての名前を

新たに「雅音人(がねっと)」として動き出した。

これまで発表の場のなかった曲たちが次々と羽ばたき出した。

私の心も自由になっていった。

そして、もっと違う曲、もっと新しいメロディー、と願う創作意欲は

私達を更なるステップアップへと導いていった。

 


 

【アートウイング誕生】

 

誰もが夢を描く。誰もが夢を追いたい。

誰もが夢を実現したいと願う。

しかしひとりでは不可能に思えて立ち止まる。

私もそうだった。ひとりでは何もできない私はまわりの人にお願いした。

そしたら手伝ってくれた。

ささやかな夢が実現した。

また助けを求めた。助けてくれる人が現れた。

また小さな夢が実現した。

さらに協力を求めた。思っていた以上の喜びを味わうことができた。

芸術には心を変える、社会を変える、平和を実現するだけの力がある。

ひとりではできないことも力を合わせ協力しあったとき大きなことも実現できる。

それぞれの持つ特技を生かし、ジャンルに囚われず、

アートによって響きあうことができたらより素晴らしいものが出来上がるに違いない。

そのために必要なアイテムを提供し、

アートによって個人に、社会に

よりよい感化を広げることができたら

どんなに素晴らしいだろう。

だからこの組織の名前を「アートウイング(芸術のつばさ)」と命名した。

いろんな方たちにどんどん関わって楽しんでもらいたい。

これから新しいことが次々と生まれ出てくるだろう。楽しみで仕方ない。

「アートウイング」誕生おめでとう。

 (2005年談)

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